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フィレンツェの最後の晩餐 その1 [1400年代 Quattrocento]





「最後の晩餐」

1447年

アンドレア・デル・カスターニョ

Andrea del Castagno

(1423, Castagno-1457, Firenze)

サンタポッローニア修道院食堂



 

 




1447年、

アンドレア・デル・カスターニョが、フィレンツェのサンタポッローニア修道院食堂に描いた「最後の晩餐」。

レオナルド・ダ・ヴィンチがミラノで「最後の晩餐」を描く50年ほど前のことです。




壁面全体はこんな感じです。







Cenacolo

affresco, 453 x 975 cm

Sant'Apollonia, Firenze




最後の晩餐の上部には、左からイエスの受難の3つの場面「復活」「磔刑」「十字架降下」と、宙を舞う天子達が描かれています。

3つの場面を「トスカーナの風景を絵画史上もっとも巧みに演出したもの」(ペルティ)と評されるトスカーナ風景が結びつけています。残念ながら保存状態は良くありませんが。







「キリストの受難」




壁画のこの部分は、壁から剥離し修復された後、元の壁に戻されています。

そのさい壁画の下から現れたシノピア(褐色の線描による下絵)が同じ部屋に展示されています。

アンドレアの素描家としての非凡な側面を知る事が出来る貴重な資料です。







「キリストの受難のシノピア」

Synopia






同上、左上天使の部分




「復活」の場面はピエロ・デッラ・フランチェスカの同主題のフレスコ画と良く似ています。

比べてみてください。






アンドレアの「キリストの復活」







ピエロの「キリストの復活」

1463-65年

Resurrection

Piero della Francesca

(b. 1416, Borgo San Sepolcro, d. 1492, Borgo San Sepolcro)

affresco/tempera, 225 x 200 cm

Pinacoteca Comunale, Sansepolcro




アンドレア(カスターニョ)の作例の方が10数年早いので、ピエロが影響を受けたと考えるのが自然です。





アンドレアの「最後の晩餐」に戻ります。




壁画の中央部分です。







手前はユダ、テーブルは左から聖ペトロ、イエス、使徒(福音記者)ヨハネ※。

足元に〈名札〉が描き込まれているので分かりやすい。

※12使徒のひとりヨハネは、別人である洗礼者ヨハネと区別するために「使徒ヨハネ」あるいは「福音記者ヨハネ」と呼ばれます。福音記者とは「ヨハネによる福音書」(第四福音書)の著者と言う意味です。

第四福音書の中に登場する「弟子たちの一人でイエスの愛しておられた者」が、その福音書の著者自身であり、使徒ヨハネであると信じられているからです。




「ヨハネによる福音書」から最後の晩餐の場面を引用します。




「…イエスはこう話し終えると、心を騒がせ、断言された。

『はっきり言っておく。あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている』

弟子たちは、だれについて言っておられるのか察しかねて、顔を見合わせた。

イエスのすぐ隣には、弟子たちの一人で、イエスの愛しておられた者が食事の席に着いていた。

シモン・ペトロはこの弟子に、だれについて言っておられるのかと尋ねるように合図した。

その弟子が、イエスの胸もとに寄りかかったまま『主よ、それはだれのことですか』と言うと、イエスは『わたしがパン切れを浸して与えるのがその人だ』と答えられた。

それから、パン切れを浸して取り、イスカリオテのシモンの子ユダにお与えになった。

ユダがパン切れを受け取ると、サタンが彼の中に入った。そこでイエスは『しようとしていることを、今すぐ、しなさい』と彼に言われた。

座に着いていた者はだれも、なぜユダにこう言われたのか分からなかった。

ある者は、ユダが金入れを預かっていたので『祭りに必要な物を買いなさい』とか、貧しい人に何か施すようにと、イエスが言われたのだと思っていた。

ユダはパン切れを受け取ると、すぐ出て行った。夜であった」




ヨハネによる福音書 (第四福音書)第13章より

日本聖書協会刊「聖書 新共同訳」




最後の晩餐の当事者の一人、ヨハネ(=イエスの愛しておられた弟子)自身による貴重な歴史的証言です。

残念ながら現代の聖書学では、この福音書の著者と使徒ヨハネは別人とされているのですが。




この場面の後、イエスは弟子たちと一緒に「キドロンの谷の向こう」の「園」または「オリーブ山」へ出かけ、一人捕らえられます。




アンドレア・デル・カスターニョは日本ではあまり馴染みの無い画家かも知れません。

彼のその他の代表作も見てみましょう。








「聖三位一体、聖ジェローラモ(ヒエロニムス)と二人の聖人」

1453年

サンティッシマ・アヌンツィアータ聖堂

The Holy Trinity, St Jerome and Two Saints

affresco

SS. Annunziata, Firenze




苦行者としての聖ヒエロニムスは、酷薄なまでの厳しい写実で表現されています。

上方の聖三位一体=父(主)と子(イエス)と聖霊(白い鳩で表される)=は短縮法(遠近法の一種)の好例です。

「それはじつに見事で短縮法もそれ以前の画家達がなしえなかったほど巧みに、いっそう現代的に扱っているゆえに、アンドレアは高い称賛に値するのである」(ジョルジョ・ヴァザーリ)。












「聖ユリアヌスとキリスト」

1453年

サンティッシマ・アヌンツィアータ聖堂

St Julian and the Redeemer

affresco

SS. Annunziata, Firenze




犯した罪を誠実に悔いる若者として描かれた聖ユリアヌスと祝福を与えるイエス。

聖人の左右にはトスカーナ風景。

貴族の家に生まれたユリアヌスが犯した罪は両親殺し。

両親を不審な侵入者と誤解した結果だったのですが、不幸な過失と片づけるには余りにも大き過ぎる罪です。

彼は城を出て、妻と共に旅人、貧しい人々、病人を献身的に看護する生涯を送ります。




この聖ユリアヌスを画家アンドレア自身と重ね合わせて、画家のある悔恨の念を読み取ろうとする見方があります。

それはひとつの伝説が作り出した先入観の故なのですが。




アンドレアには暗く陰鬱なイメージがつきまとってきました。

処刑された謀反人を描いて「首吊りのアンドレア」のあだ名で呼ばれたのはまだ少年時代のこと。




きわめつきは前出、ジョルジョ・ヴァザーリ Giorgio Vasari(1511-74)の「画家・彫刻家・建築家列伝」(Le vite de' piu eccelenti pittori, scultori e architettori 1550)。

「罪深き闇が人徳の輝きを覆い尽くした」冷酷な人間で、嫉妬心からライバルの画家、ドメニコ・ヴェネツィアーノ(Domenico Veneziano 1410-61)を殺害したとされています。

そのためアンドレアは残忍な殺人者と信じられていたのです。1878年、歴史家ガエターノ・ミラネージによって「ドメニコ殺人事件」の冤罪が晴らされるまで。




実はそれはもともと不可能な「事件」だったのです。

「被害者」ドメニコが死んだのは1461年。

「殺人者」アンドレアはすでにその4年前の1457年、フィレンツェで亡くなっていたのですから。




アンドレアの壁画で一番好きなのはこれ。







「ニッコロ・ダ・トレンティーノ騎馬像」

サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(ドゥオーモ)、フィレンツェ

Monument to Niccolò da Tolentino

1456

affresco

833 x 512 cm

Duomo, Florence




ニッコロの大きな帽子と、優しい馬の目。



ドゥオモ





【info】

アンドレア・デル・カスターニョの「最後の晩餐」

フィレンツェ、サンタポッローニア修道院食堂

Cenacolo di Sant'Apollonia, Firenze

メディチ=リッカルディ宮殿脇のvia de Ginoriを北に進みます。

通りの名前がvia S. Galloに変わって、via ⅩⅩⅦ Aprileにぶつかる角にあります。

サン・マルコ広場の西側、すぐ側です。

見学は火曜〜日曜の午前中。月曜と祝祭日は休み。



Cenacolo di Sant'Apollonia



この記事は旧カテゴリー【フレスコ画の世界】から新カテゴリー【1400年代/ Quattrocento】に移動しました。



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コメント 29

toraneko-tora

ついに出ましぁ~ 「最後の晩餐」・・・・・
丁寧な解説のついた、宗教画・・・・・ 無神、無宗教の私には・・・・・そのくせ、神社やお寺では手を合わせるくせに・・・・・「へぇ~ そうなんだ」 ってことばかり・・・・・
by toraneko-tora (2006-10-14 05:42) 

つぐみ

宗教画にはなじみがなくて・・・。
背景がわかればもっと楽しめるでしょうね。
by つぐみ (2006-10-14 09:02) 

neko

最後の晩餐、説明も読んで、絵の中に入っていく感じがします。
宗教画は説明を聞かないと分からないことが多い。
by neko (2006-10-14 09:40) 

柴犬陸

ダヴィンチ以前の「最後の晩餐」とても興味深いです。
by 柴犬陸 (2006-10-14 11:48) 

yk2

昨晩丁度、カスターニョの最後の晩餐はTVで取り上げられてましたね。
今更ながらの“ダ・ヴィンチ・コード”の嘘ばらしみたいな番組でしたが・・・(笑)。

その中で、サンタポッローニア修道院ってフィレンツェ駅から徒歩10分くらい、って紹介されてましたが一般に公開されているんでしょうか?。福井洋一記者(笑)のお話ですと、どうやらミラノの「最後の晩餐」には当分縁が無さそうですから、こちらならばゆったり観られるかも、なんて思っちゃいますね(^^;。
by yk2 (2006-10-14 12:08) 

yoku

「最後の晩餐」についてこれほど詳細な画像と記述が
いままで、あっただろうか。このPlotさんの紹介文は
特筆ものです。正に、脱帽です。素晴らしいです。
by yoku (2006-10-14 13:40) 

plot

clos-du-meixさん、toraneko-toraさん、 つぐみさん、 nekoさん、 柴犬陸さん、 yk2さん、 yokuさん、 nice!&コメントありがとうございました。
yk2さんのご指摘をうけて【info】を追加しました。
日本に置いてある資料はだいぶ古いので変更があるかも知れません。イタリアに戻ったら確認しますね。
案の定、日本にいると何かと忙しく、記事の更新、コメントへのお返事、皆さんのblogへの訪問も滞りがち…というわけでいろいろご無礼しています。
とりいそぎ。
by plot (2006-10-14 14:17) 

ぱふ

1人だけテーブルの席が違うユダ、そして遠近法ばっちりの
三位一体---カスターニョは分かりやすいというか
説得力のある絵を描いたんですね (@_@) 
by ぱふ (2006-10-14 18:05) 

Bijoux

最後の晩餐。ユダには金の輪がないのですねぇ。。。
キリスト教を大学で学んだことがありますが、
とっても奥が深いなぁと感じました。
聖書も立派な「読み物」ですよねぇ^^
by Bijoux (2006-10-14 18:52) 

ツカ

これまた雰囲気の違う「最後の晩餐」ですね~!
ユダだけ髪も服も暗くて、ダークオーラが漂ってますね。
by ツカ (2006-10-14 20:04) 

monad

今まで「ただの絵」と思っていましたが、細かいところにいろいろな意味があるのですね。その奥深さに、初めて触れました。
by monad (2006-10-14 22:00) 

anthurium

ありがとうございます。
「最後の晩餐」なんか怖い感じがします~
by anthurium (2006-10-14 22:56) 

Minovsky

フィレンツェにも、最後の晩餐があったんですね。
次回訪問時は是非観にいきたいです。
by Minovsky (2006-10-15 01:26) 

sanesasi

私の世界とは全く違う世界をしり また教えていただきました ありがとうございました
by sanesasi (2006-10-15 22:08) 

chi-ran

わ~勉強になりましたし、映画を観たあとにこのヨハネの姿を見るとかなり
ドキドキします~。。 ありがとうございますw
by chi-ran (2006-10-16 17:21) 

eiichiBOX

凄いです!計算されつくした、上に成り立っているのですね。
職人技が芸術を支えている事が、素晴らしいです。
イタリアの物作りが今に有る事、実感しました。
そして、宗教の力の大きさを、改めて実感しました。
by eiichiBOX (2006-10-16 19:16) 

シェリー

こんにちは。今回の『最後の晩餐』も雰囲気が違うんですね。
絵の背景となっているお話などもあわせて伺うと、見方が少し変わって楽しいです。でも実際これもとても大きな絵なのですよね。やっぱり実物を観てみたくなっちゃうな。馬の目の優しさも・・・きっと実物だともっと優しく感じれる気がします。
by シェリー (2006-10-17 14:02) 

にこちゃん

え?最初からユダが蚊帳の外に・・・なんか意外です。
壁画って、絵の具はあんまりゆるく溶かないで描くのでしょうか。
難しそう・・・特に天井は眺めるだけで大変なのに。。
by にこちゃん (2006-10-17 14:42) 

あやっぴぃ

うちの近くのYMCAにも、最後の晩餐のタペストリーがあるんですが、
ユダ、あからさまに分かります。お金の袋、持ってますから!
他の使徒のみなさんは、私には分からないのですが。
キリスト教が大きな力を持つ前と後での、芸術界のかかわりも大きいし、
仏教の仏像の世界もそう。人間は、宗教から離れられない生き物ですよね。
by あやっぴぃ (2006-10-18 12:07) 

Ikesan

記事も対象も大作です。
ダビンチの前に最後の晩餐があったとは知りませんでした。キリストの歴史も興味深いものです。
by Ikesan (2006-10-21 02:37) 

あーろん

正直、一度読んだだけでは全てを理解しきれません
とにかく記事の内容もその濃さもスゴすぎです!
もう一度時間をかけてじっくりお勉強したいと思います。
しかし・・・最後の晩餐の席でイエスがユダの裏切りを
言うのってどうなんだろ‥‥?日本人的な発想で考えれば
聖人って呼ばれる人はそいううことをしない気が・・・・。
by あーろん (2006-10-21 11:31) 

TaekoLovesParis

この間さらっと読んで、余裕のあるときに絵と見比べながら、じっくりと思っていたのでようやく今、コメントです。日曜の朝にふさわしい時間をこの記事を見ながら、読みながら過ごしました。写真も本も普及していない時代に人々は壁画を見て宗教心を養っていたのでしょう?見ているだけで表情からストーリーが
わかるほどに描かれていますね。最後の晩餐の上部にこんな大きな絵があったとは。。セットで見るべきものなんですね。
カスターニョの天才ぶりがここを見ているとひしひしと伝わってきます。実際に
人殺しをしたのでは、と疑われるほど、表情の感情表現がみごとだったのですね。ドゥーモの騎馬像、すさまじいい感情のぶつかりあいの絵、宗教画から出て、最後にほっとする感じがこれを見てしました。
カスターニョの作品を見る旅もおもしろそうですね。
こういう記事を集めて、本になさったらどうでしょう?「イタリア壁画の旅」なんていうタイトルで。
by TaekoLovesParis (2006-10-22 09:27) 

tonpoo

難しいことはわかりませんが・・・
せっかくフィレンツェに行ったのに、こういう素晴らしい作品は
ほとんど見ていません。ただボケーっとしていただけで^^;
今度行く時はしっかり下調べして有意義に・・・と思ってはいますが・・・
by tonpoo (2006-10-22 18:55) 

plot

みなさん、コメント&nice!ありがとうございました。

ぱふさん、
一人だけテーブルの反対側に描く例はカスターニョ以外にもあります。
わかりやすいというのは宗教画の必要条件かも知れませんね。
カスターニョの「遠近法ばっちりの三位一体」、
現代の画家ではダリが強い遠近法で磔刑図を描いていますね。
遠近法に執着した画家といえばウッチェッロが有名ですが、
カスターニョはまるで彼に対抗するように、
ドゥオーモで、ウッチェッロの騎馬像の隣に、よく似た構図の騎馬像を並べて描いています。

Bijouxさん、
聖書は史上最大のベストセラーと言われますが、文学として読んでも興味深いですね。
著者が見聞した事実、伝聞、想像力の産物、教団としての戦略…それらが渾然一体として謎解きとして読んでもスリリングです。

ツカさん、
ユダの表現に画家の個性が出るかも知れませんね。
ダースベーダー並みのダークオーラも、鬼気迫るカスターニョの個性ですね。

モナドさん、
社会の中で絵画の存在が今よりもはるかに大きかった時代と言えるでしょうね。現代は絵画に意味を付加する前提としての共通言語が失われているのかも知れません。

panda_pandaさん、
この時代から修道院の食堂に「最後の晩餐」が描かれるようになりました。重いテーマで食欲が失せるのではと心配になりますが。
by plot (2006-10-23 00:35) 

plot

Minovskyさん、
他にも素晴らしい「最後の晩餐」が何点かあります。フィレンツェにいらっしたら是非ご案内したいです。

sanesasiさん、
志賀高原の美しい風景とは確かに対極かも知れませんね。カスターニョの壁画、blog上では少々どぎつく写っていると思いますが、500年を経た実際のフレスコ画は、落ち着いた風合いに癒されます。

ちえさん、
12使徒の中でヨハネはとても不思議な存在ですね。「ダ・ヴィンチ・コード」のマグダラのマリア説も面白いけれど、では本当のヨハネはどこにいるのだろうと考えるとやはり無理がありそうです。ヨハネは最初の弟子の一人だし、最後の晩餐の準備もしているので画面上に登場しないのは不自然ですから。

eiichiBOXさん、
当時の壁画家は今の映画の脚本家+監督+カメラマン+プロデューサーのような存在ですね。遠近法も最先端の数学的知識だったわけですから科学者の一面ももっていたことになります。レオナルドひとりだけではなく、万能の天才の時代だったと言えるかも知れません。そういうスケールの大きな仕事の基礎に徒弟制度で鍛えられた職人技があるわけですね。ジュジャーロ(日本ではジウジアーロ)のような万能型のデザイナーが活躍するのも伝統の力と言えるのでしょう。

シェリーさん、
たしかに壁画は空間芸術ですから、その空間に入り込まないと本当の体験は出来ないと言えますね。持ってくる訳にも行かないし。ニッコロ・ダ・トレンティーノ騎馬像の高さは8m以上、しかも地面からかなり高い位置に描かれているので実物は壮大です。といってもドゥオーモ自体が巨大な空間ですから近くから見上げないとその大きさは実感出来ません。馬も実物大位だと思うのですがなかなかつぶらな瞳です。

にこちゃん、
ユダはこの場面のもうひとりの主役ですね。一目で見分けられるのも重要なポイントです。
フレスコ画の絵の具は顔料を水(または石灰の上澄み)で溶いたものです。水の量はさまざま、ごく薄く溶いても良いし、ペースト状に練って盛り上げてもOKです。天井画はたしかに重労働ですね。ミケランジェロが法王に愚痴をこぼしている手紙も残っています。
by plot (2006-10-23 00:35) 

plot

あやっぴぃさん、
お金の袋を持っているのも聖書の記述に基づいているんですよね。
僕自身はクリスチャンではないし特定の宗教は信じていませんが「宗教心」はあっても良いのではと思っています。「命の尊厳」「良心」「生まれながらの人間の平等」…人間が生きて行く上で信ずべき規範は宗教がつちかってきたのだと思うから。もちろんそれと同じくらい宗教が、戦争や弾圧の原因を作ってきたのも事実ですが。

Ikesan、
「イエスの生涯」という大きな主題の一場面だった「最後の晩餐」が独立した主題になって修道院の食堂の壁を飾るようになったのはルネサンス初期、フレスコ画のイタリアでの発展と一致しています。レオナルドの「最後の晩餐」はそのいわば集大成ですが、それ以前だけでなくレオナルド以降も面白い「最後の晩餐」が生まれています。

あーろんさん、
「最後の晩餐の席でイエスがユダの裏切りを言うのって」確かに日本人的感覚ではちょっとひっかかりますね。ましてその後、ユダの裏切りを知りながら自ら罠の待ちかまえている場所におもむいて捕らえられるのですから。悟りを開いている人なら黙って運命を受け入れるべき?でもイエスは神様に「なぜ私を見捨てるのですか」と愚痴を言ったり、その辺りの人間臭さが魅力と言えるのかも知れません。

TaekoLovesParisさん、
殺人者の汚名を着せられていたカスターニョの絵には、つい丁寧に観てあげたいという思い入れ(?)のようなものを感じてしまいます。子供の頃、毎週ハラハラ観ていたTVドラマ「逃亡者」の影響でしょうか。
「イタリア壁画の旅」良いタイトルですね。本を書く準備のつもりでblogも頑張ってみたいです。

tonpooさん、
僕もフィレンツェにいても、ただボケーっとしている日も多いです。本当は毎日見て回っても観切れないほどたくさんの素晴らしい芸術があるのですが。でも旅行で大切なのは完璧に観てしまわない事かも知れません。そうすればまた行きたくなりますから。今度いらっしゃる時は是非お知らせくださいね。ご案内できれば嬉しいです。
by plot (2006-10-23 00:36) 

SOLE

お久しぶりです&1000nice越えおめでとうございます!
最後の晩餐フェチとしてはこれは見ないと!
場所ちゃんと__〆(・ω・。)メモメモしました!ありがとうございます!
by SOLE (2006-10-24 03:06) 

旅爺さん

ヨーロッパの数箇所で宗教画を含めた色んな絵を見ました。その都度細部の説明を聞いて、書いた人がどんな思いで書いたのかを思わされました。
今までPCが故障でしたが復帰したのでまた宜しくお願い致します。
by 旅爺さん (2006-10-24 15:25) 

plot

SOLEさん、凄い遅れたお返事でごめんなさい。
あと何ヶ所かフィレンツェの「最後の晩餐」ご紹介しますので、今度いらしたときに見てくださいね。
旅爺さんも、遅いお返事でごめんなさい。
PCの故障、大変でしたね。再開後の旅のblog、快調ですね。
by plot (2006-11-06 01:03) 

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