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モディリアーニとパルミジャニーノ(再掲2007-04-22 00:54の記事) [1500年代 Cinquecento]

-Parmigianino e Modigliani-

Modigliani come una manierista

マニエリストとしてのモディリアーニ 

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2012年以来、開店休業中のブログ「美術史ノート」ですが、
そろそろ再開したいと思っています。
本格的再開(?)の準備運動を兼ねて、
イタリア滞在中に書いた記事を整理して再掲していきます。

レオナルドの「受胎告知」が日本出張中※
…で、ちょっとだけ寂しいウッフィツィ美術館の至宝の一つ。(※2007年の記事です)
 
パルミジャニーノ「長い首の聖母」
Parmigianino (1503-1540), Madonna dal Collo Lungo 1534-40, Galleria degli Uffizi, Firenze 

parmigianino.jpg

聖母と幼子、天使達が描かれていますが、正確な主題は不明。後方に聳える列柱も、右下の人物も解釈が一定していません。美しくも謎の多い作品です。そして長い首の婦人像といえばモディリアーニ。例えばこの作品。

アメデオ・モディリアーニ「ジャンヌ・エビュテルヌの肖像」

Amedeo Modigliani(1884-1920), Portrait of Jeanne Hébuterne 1918, Norton Simon Art Foundation, Pasadena, CA.modigliani001.jpg

ジャンヌ・エビュテルヌ (1898 -1920)はモディリアーニの伴侶。彼が最も愛し、そして愛された女性。(記事後半のYoutube参照)この2枚の絵はとても雰囲気が似ています。どこがどう似ている? モディリアーニの絵を左右反転させて並べてみます。

modi_par001.jpg

頭と首の傾き、肩のラインなどが良く似ています。ジャンヌの顔は、モディリアーニの彫刻の顔そのもの※ですが、でも両者の鼻の角度も良く似ています。

(※例えばこの作品)

モディリアーニ「首像」 Amedeo Modigliani, Stone Head. 1911-12

この時期アトリエを共有していたブランクーシとともにアフリカ彫刻やカンボジア美術から大きな影響を受けています。 

はっきり異なる部分もあります。例えば右手の方向。でも傾きを合わせてみると、やはり両者はとても良く似ています。それが冒頭の画像です。これは偶然でしょうか?それともモディリアーニは、パルミジャニーノの作品を意識していたのでしょうか?

パルミジャニーノはマニエリズモ(Manierismo)の代表的な画家の一人。マニエリズモを英訳すればマンネリズムmannerism。模倣と繰り返しを指向する芸術傾向…と、身もふたもない意味合いになってしまいますが、これには18世紀のドイツ古典主義的美術史観が反映しています。不当に貶められたマニエリズモが再評価されるのは20世紀始めです。

マニエリズモはマニエラmaniera=礼儀・作法から派生した言葉。洗練された宮廷文化の知性と優雅さを、芸術様式として表現することを目差しています。ルネサンスの巨匠達、レオナルド、ミケランジェロ、ラフェエッロが完成させた至上の芸術の「マニエラ」から学ぶことが、目的に至る最良の道とされました。例えばレオナルドの「マニエラ」。 

レオナルド・ダ・ヴィンチ「白貂を抱く貴婦人」(部分)

Leonardo da Vinci(1452-1519), La dama con lermellino 1483-90(parte)


直接の関係があるという確証はありませんが、パルミジャニーノの「長い首の聖母」の手に良く似ています。同じ絵の全体です。
Leonardo da Vinci, La dama con lermellino

マリエリズモに話を戻します。
現実のマニエリズモは、宮廷文化の密室的洗練に呼応した多義的で難解な主題、過度の優美さの追及、洗練を極めた技巧によって、秘義的な色彩を強めます。
ルネサンスの栄光はすでに過去のものとなり、没落し混迷を極めた社会の中に生きる画家達の心情をも反映させた奇妙な作品群。
しかしその独自性に溢れた芸術は「芸術のための芸術」を標榜する近代芸術の魁と見なされるようになるのです。

現代の画家で最初にマニエリズモに興味を示したのはピカソです。1917年に晩年のルノワールの様式にヒントを得たピカソの新古典主義時代が始まりますが、その直前、イタリア滞在中に短い「マニエリズモの時代」が存在するのです(ピカソのマニエリズモ時代については別の機会に書くつもりです※)。一方、モディリアーニがこの絵を描いたのは1918年。もし彼がマニエリズモを意識していたとしたら最も早い作例の一つといえるかも知れません。

※ ピカソのマニエリスム時代 その1 (再掲2010-05-31 18:56の記事)

モディリアーニはユダヤ系イタリア人としてリヴォルノに生れます。
20歳でパリに移る前に、ヴェネツィアのアカデミアで古典主義的な美術教育を受けています。
異邦人としてパリで暮すモディリアーニは、イタリア人としてのアイディンティティを探していたのでしょうか。
モディリアーニはロマネスク彫刻やイタリア美術史の巨匠達に彼のイタリアを見つけたのだと思います。フジタにとって白い磁器のマチエールや、墨の描線が日本そのものであったように。

モディリアーニの裸婦から、その探求の痕跡を追ってみましょう。

「青いクッションの横たわる裸婦」
Reclining Nude with Blue Cushion. 1917, Collection of Mr. Nathan Cummings, NY, USA 
次に掲げるジョルジョーネの作品から多くを得ているのは明らかです。

上半身、右肘、頭、両乳房の位置関係はそのまま模写といっても良いほどです。
ジョルジョーネで特徴的な左手は描かれていませんが、いったん描いた後で消し去ったようにも見えます。
臍の位置の変更は腰を手前に向けて起こしたため?全体としてまだ習作然としています。 

ジョルジョーネ「眠れるヴィーナス」
Giorgione (1477-1510), Venere dormiente 1510, Gemäldegalerie, Dresden

言うまでもなく、このヴェネツィア派の巨匠のヴィーナスは、ヨーロッパ絵画における裸婦の古典の一つ。

 そういえば僕も10年前※、こんな絵を描いています。(※ 2007年の記事なので。1997年、19年前の作品です↓)

http://www005.upp.so-net.ne.jp/Firenze/veneri.html

ところでモディリアーニはこの「習作」をどう発展させたのでしょう。 

「横たわる裸婦」
Reclining Nude. 1917, Staatsgalerie, Stuttgart, Germany.
豊かな胸が与えられた上半身と、引き締まった胴、胸と呼応するように強いカーブが与えられた彫刻的な腰のライン。自信に満ちた強く明快な造形。そして蠱惑的な瞳。モディリアーニはこうでなくっちゃ。

 

【画像の追加です】

 

パルミジャニーノ 自画像

Parmigianino, Autoritratto 1524

 Durchmesser 24,4 cm, Vienna, Kunsthistorisches Museum


ウィーン美術史美術館のこちらも至宝。凸面鏡のように立体的に加工された板に描かれています。パルミジャニーノはこの絵をポートフォリオのように携えてローマに乗り込んだのです。 

 

パフさんのコメント↓にある ボッティチェッリ「ヴィーナスの誕生」
Sandro Botticelli (1445-1510), La nascita di Venere 1485 278 x 172 cm
Galleria degli Uffizi, Firenze

 

(左端は左右反転させたもの)

こうして並べてみると、確かに良く似ています。中央パルミジャニーノの上半身のポーズは左の反転画像から、ただし胸に置いた右手は、右の画像から…というようにも見えてきます。


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