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フィレンツェの「最後の晩餐」その2 (再掲2007-01-09の記事) [1500年代 Cinquecento]

Cenacolo di San Salv i/ Andrea del Sarto 1486-1530

アンドレア・デル・サルト作「最後の晩餐」

1月6日はエピファニアの祝日 ※1。
最後のクリスマス気分を味わうため、丘を下ってフィレンツェの街へ。


ドゥオーモ周辺はすごい人だかり。

人だかりの向こう、ドゥオーモの入り口に人間プレゼピオ! ※

といっても小さすぎて分かりませんね。

本当は家に帰ってからTVニュースで知りました。

※1※2 Buon Natale!!の記事の※1を参照


http://blog.so-net.ne.jp/firenze/2006-12-29-2

エピファニアの主役は公式にはプレゼピオの登場人物=幼子イエスら聖家族と東方三博士=ですが、子供たちにとってはもう一人の重要人物、べファーナという魔法使いのおばあさん ※3のほうが気になります。なぜなら彼女は、良い子の靴下の中にはお菓子を、悪い子には炭を配るからです。この朝、子供たちはどきどきしながら靴下の中を確かめます。

Taro君の靴下も当然お菓子で一杯でした。炭そっくりのお菓子も混じっていましたが(…とここまで書いて写真を撮るのを忘れていたのに気づきました。残念!)。というわけでこの日はイタリア版こどもの日という感じ。いつもは観光客でいっぱいのフィレンツェの街も、この日だけは小さな子供たちを中心にした家族連れが主役でした。

※3 べファーナLa Befanaの来歴には諸説あるようですが、その一つ。

東方三博士に同行を勧められて断ったべファーナおばあさん、後悔して自分も幼子イエスに贈り物を届けようとしますが、どの子がイエスか分からない。とりあえず出会う子供に片っ端からプレゼントしたのが始まりだとか。

さてお正月です。

初詣では王子稲荷と決めているのですが、今年は旧正月のそのまた月遅れ位になりそう。
狐の行列に出会えないのは残念ですが、代わりにフィレンツェの最後の晩餐を巡礼する事に。
「最後の晩餐」といえば「ダ・ヴィンチ・コード」にも登場するミラノのレオナルドの「最後の晩餐」を思い浮かべますが、実はフィレンツェにも「最後の晩餐」がたくさんあることは「フィレンツェの『最後の晩餐』その1」 ※4でお知らせしましたね。

※4 フィレンツェの「最後の晩餐」その1はこちら↓

http://arte.blog.so-net.ne.jp/2016-05-10-7

今回は「その2」です。たぶん「その8」位まで続く? でも今日からまたイタリア語学校が始まりました。大きな絵も描き始めました。というわけで続きはいつになるか分かりません(^^:

前置き、長〜〜くなってますが、ここからが「最後の晩餐」その2です。

新年最初に訪れたのはオステリア・ココトリッポーネの記事 ※5でもご紹介したフィレンツェの東の町外れ、サン・サルヴィ教会サン・ミケーレ修道院にあるアンドレア・デル・サルト作「最後の晩餐」です。

※5 オステリア・ココトリッポーネの記事はこちら↓

http://blog.so-net.ne.jp/firenze/2006-09-01



左がサン・サルヴィ教会の鐘楼。入り口はその手前のサン・サルヴィ通り16番地、呼び鈴を押して格子戸を開けてもらいます。

image.jpeg
久しぶりの再会



最初に訪れた時は上部の謎の二人と美しい夕焼けが印象に残ったのですが


今回はイエスを始め、登場人物の若々しさが印象的でした。
ヨハネはまるでティーンエージャーです。


アンドレアは40数年の生涯でした。この壁画の制作年は確定していませんが、最も早い推定では彼は30代前半。画家自身の若々しさが画面に反映しているようにも見えます。レオナルドがミラノで「最後の晩餐」を描いたのは40代後半です。


ユダは右端の影の中にいます。



Cenacolo di San Salvi 1519?-1527?
Andrea del Sarto 1486-1530
Museo del Cenacolo di Andrea del Sarto ; Museo diSan Salvi
via San Salvi 16, 50135Firenze

Museo di Cenacolo di Andrea del Sarto


「アンドレア・デル・サルトの最後の晩餐美術館またはサン・サルヴィ美術館」という長い名前の美術館。ガイドブック類には「見学は9時から14時」と書かれていて、以前の記事でもそうご紹介しましたが、実際は13時には閉まることが多いようです。午前中に行くのが無難。月曜休館。入場は無料。ATAF6番のバス。鉄道の陸橋を越えてすぐ下車。教会の鐘楼を手がかりにサン・サルヴィ通りを見つけてください。

【書き忘れたこと】


この壁画にまつわる伝説です。

カール5世がフィレンツェを包囲したとき、フィレンツェ政府は、この町外れの修道院が敵に利用されるのを恐れ、破壊するよう兵士に命じました。
兵士たちは修道院の大半を破壊しアンドレアの壁画のある食堂にやって来ます。
彼らは、立ち止まり沈黙しました。兵士たちはそれ以上、 破壊を進めなかったということです。
バスに揺られ町外れの修道院にたどり着き、この壁画の前に立つと、兵士たちの思いが伝わってきます。

 この記事は旧カテゴリー【フレスコ画の世界】から新カテゴリー【1500年代/ Cinquecento】に移動しました。

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